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先祖が武士か調べる方法|士族とは

先祖が武士の家だったかどうかは、明治の古い戸籍に書かれた「族称」(ぞくしょう=華族・士族・平民という身分の呼び名)が手がかりになります。士族は、明治になって元の武士などに与えられた呼び名です。明治6年(1873年)1月の時点で士族と卒(足軽など下の身分)はあわせて約189万人、当時の総人口のおよそ5%、20人に1人ほどの計算になります。

ただし、古い戸籍の族称の欄は墨で消されていることがあります。戸籍で分からないときは、藩の家臣の名簿(分限帳)などを図書館で探します。

族称や身分の記載は、差別と結びついてきた歴史があります。この記事の方法は、自分の家の歴史を知るためだけに使ってください。他人の家柄や出自を調べることには使えませんし、使わないでください。

士族とは:華族・士族・平民の「族称」

明治政府は、江戸時代の身分を新しい呼び名に整理しました。辞典の説明をまとめると、次のとおりです(コトバンク「士族」の世界大百科事典・山川日本史小辞典・日本大百科全書など)。

族称 どんな人か
華族 明治2年(1869年)の版籍奉還のあと、公家と大名がなった
士族 藩士や旧幕臣など、元の武士。神官や寺院に仕えた家士などが士族とされた例もある
卒 足軽など、士族の下の層。明治5年(1872年)に廃止され、代々の卒は士族へ、一代限りの卒は平民に移された
平民 農民・町人など、それ以外の人

精選版日本国語大辞典は、士族には「法律上の特典はなかった」と書いています。呼び名が残っただけで、特別な権利があったわけではありません。

ここから分かるのは、族称は江戸時代の身分をそのまま写したものではないということです。一代限りの卒だった家は平民になりましたし、士族の中には武士以外の家も含まれます。「平民だから武士とは無関係」「士族だから必ず武士」とは言い切れません。

武士の割合はどのくらい?

世界大百科事典は、明治6年(1873年)1月時点の士族と卒の合計を「40万8823戸,189万2449人」としています(コトバンク「士族」)。

同じ年の1月1日の日本の総人口は、約3,498万5千人です(国立社会保障・人口問題研究所 人口統計資料集 表1-2。元の資料は内閣統計局『明治五年以降我国の人口』)。

項目 数
士族と卒の合計(1873年1月) 189万2,449人
総人口(1873年1月1日) 約3,498万5千人
割合(上の2つから計算) 約5.4%(およそ20人に1人)

割合は、別々の資料の数字を割り算して出した目安です。士族と卒をあわせた数で、江戸時代の武士の数そのものではありません。

古い戸籍に族称が書かれていた時期

族称は、明治から大正にかけての戸籍に書かれていました。国会での法務省の説明をまとめると、次のようになります。

戸籍 族称の記載 いま取れるか
明治5年式(壬申戸籍) 族称のほか職業、寺、氏神まで書かれていた(1986年5月15日 参議院法務委員会) 取れない(壬申戸籍とは)
明治19年式以降の戸籍 族称の記載がある(1973年3月6日 衆議院予算委員会第一分科会)。法務省は1976年に「大正四年戸籍以前のもの」に族称欄の記載があると説明(1976年5月14日 衆議院法務委員会) 残っていれば取れる。族称欄が消されていることがある
戦後の戸籍 なし —

世界大百科事典は、1914年の戸籍法改正のあとの士族の呼び名は「たんに家系が武士であったことを示すにとどまった」とし、1947年の戸籍法の全面改正で法的に完全に消えたと説明しています(コトバンク「士族」)。

いま取れる戸籍で族称は見られる?

いま取れる最も古い戸籍は明治19年式です(戸籍で家系図はどこまでさかのぼれる?)。この時期の除籍(全員が抜けた古い戸籍)が残っていれば、族称の欄がある戸籍を取れる可能性があります。

ただし、法務省は1973年の国会で、族称欄の記載を墨で消したいという市町村には、墨で消すことを許可していると答えています(1973年3月6日の答弁)。このため、写しを取っても族称の欄が読めないことがあります。また、古い除籍は保存期間を過ぎて廃棄されていたり、戦災で焼けていたりすることもあります。

戸籍に族称が見えなくても、本籍地や先祖の名前は分かります。それが次の資料探しの出発点になります。古い戸籍の読み方は古い戸籍の読み方と用語集にまとめています。

他人の家柄・出自を調べることには使わない

戸籍は自分と直系の家族のものしか取れない

戸籍の写しを請求できるのは、原則としてその戸籍に載っている本人、配偶者、父母・祖父母などの直系尊属、子・孫などの直系卑属です(戸籍法 第10条。除籍も同じ。第12条の2)。それ以外の人が請求できるのは、権利の行使や義務の履行に必要な場合など、法律で決められた理由がある場合に限られます(同法第10条の2)。

近くの役所でまとめて請求できる広域交付も、本人・配偶者・直系の親族に限られ、兄弟姉妹の戸籍は取れません(法務省)。祖父母・曾祖父母の戸籍を孫が取る方法は祖父母・曾祖父母の戸籍は孫が取れる?をご覧ください。

族称や身分の記載は差別と結びついてきた

族称や身分の記載は、差別に使われてきました。法務省は、明治5年の壬申戸籍には族称の書き方として差別的な呼び名が書かれたものがあり、部落差別などにつながるため公開しない、と国会で説明しています(1986年5月15日の答弁)。

鳥取県は「身元調査お断り運動」の中で、本人の知らないところで家柄や家庭環境などを調べることは、多くの場合「重大な人権侵害であり、差別行為になります」と呼びかけています(鳥取県「身元調査お断り運動」)。

藩の分限帳・家臣団の資料を図書館で探す

戸籍で先祖の名前と本籍地が分かったら、その土地を治めていた藩の資料をあたります。

  1. 本籍地から藩を調べる
    古い本籍地の地名が、江戸時代にどの藩の領地だったかを、市町村史や地名辞典で確かめます。
  2. 人名事典を引く
    『三百藩家臣人名事典』(新人物往来社、1987〜1989年、全7巻)は、約250の藩の家臣を地域別に載せています。ただし載っているのは、史料に事績を残した名の知られた藩士が中心です(国立国会図書館 リサーチ・ナビ「江戸時代の藩士を調べる」)。
  3. 分限帳・由緒書を探す
    家臣の名簿である「分限帳」、家の由緒を書いた「由緒書」、家臣団の系図集「家中系図」が手がかりになります。「藩士録」「家臣録」「侍帳」とも呼ばれるので、言葉を変えて検索します(同上)。
  4. 先祖の土地の図書館に相談する
    県立図書館が藩士の資料の調べ方をまとめていることがあります。活字になっていない分限帳が、文書館や博物館に古文書として残っていることもあります。

分限帳には限りもあります。山口県立山口図書館の調べ方案内は、分限帳を「大名の家臣の名前・禄高・地位・役職などを詳記した帳面」(『国史大辞典』の説明)と紹介したうえで、次の点に注意するよう書いています(山口県立山口図書館「先祖について調べる(武士編)」)。

幕府に仕えた武士(旗本など)の系譜や、県史・市町村史に収められた分限帳の探し方は先祖の調べ方でも紹介しています。

本

自分でつくれる200年家系図

橋本雅幸/旬報社(2015年)

戸籍をたどって200年ほどさかのぼる家系図を、自分で作るための本です。

自分で古文書を探すのが大変なら、調査を任せる方法もあります。家系図作成代行センターは、戸籍より前の調査の一つとして「武士(士族)調査」を120,000円で案内しています(家系図作成代行センター)。ほかの会社との違いは代行会社の比較にまとめました。

家系図作成代行センター家系図作成代行センター株式会社

料金
672,000円(祖父母の4家系・ヒストリエコース)
できあがるもの
筆書きの巻物・折本・掛軸・額装(378,000円)、冊子製本(168,000円)など
納期の目安
公式サイトでご確認ください
戸籍以外の調査
あり(文献・武士の調査・菩提寺への問い合わせなど 各120,000円)

代表は行政書士で、北海道から沖縄まで対応すると書かれています。戸籍より前の時代まで調べたい人向けです。

家系図作成代行センターの公式サイトを見る

よくある質問

名字や家紋があれば、武士の家だったということですか?

そうとは限りません。江戸時代、農民・町人は一般に名字を公に名乗れませんでしたが、明治8年にはすべての人が名字を名乗るようになりました(苗字(名字)のルーツの調べ方)。家紋は江戸時代も使い方に制限がなく、武士以外の家も使っていました(家紋の調べ方)。

戸籍に「平民」と書かれていたら、武士ではなかったのですか?

言い切れません。明治5年に卒が廃止されたとき、一代限りの卒は平民に移されています。逆に、士族の中には武士以外の家も含まれます。族称は手がかりの一つとして、ほかの資料とあわせて考えてください。

最終更新:2026-10-28